学校や家庭でのストレスからうつ病に
わたしは子供の頃から体が弱く、友達と遊ぶことも、学校へ通うことさえ困難でした。
登校しても友達の輪には入れず、次第に「学校嫌い」になり、学校へ通うことをプレッシャーに感じるようになりました。
中学に上がり、体のほうは丈夫になってきたものの、消極的な性格は変わらず、両親に心配をかけないためだけに登校する感覚でした。
イジメというほどの行為はなかったものの、ちょっとしたちょっかいに過剰に反応し、ストレスは溜まっていきます。
それが次第に
「逃げ出したい」
「いっそ死んでしまいたい」
という黒い感情を形作るのは時間の問題でした。
何をしていても気分が晴れず、食事は少しの流動食、睡眠は1日2時間程度という日々が、中学生活の大半を占めました。
中学3年のとき、父親との言い合いの後で、初めてリストカットをしました。
その後も自傷行為は癖づいたように続き、高校1年の夏に、それが両親に発覚します。
心療内科へ連れられたわたしは、うつ病であると言われ、通院でのカウンセリングを受けることになります。
同時に薬も処方されましたが、どちらもわたしには合わなかったのか効果は感じられず、高校生活がままならなくなりました。
高校を自主退学し、しばらくは本当に何もせずに日々を過ごしました。
腫れものに触るようだった両親も、心を砕いて明るく接してくれ、家族の時間を多く取ってくれました。
半年後、わたしは通信制の高校に入学しなおし、そこで同じような理由で入学してきた仲間と出会いました。
まったく異なる理由で通学している人たちとも出会い、それまでに「普通の学校」で感じていた疎外感や、ストレスは無くなりました。
自傷行為や摂食障害は気づけばなくなり、毎日を楽しく感じられるようになっていました。
誰もがわたしのようにストレスから逃げ、環境を変えられないのは承知です。
ですが、逃げることは悪いことではないのだと知ってほしいです。
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